将来の夢はねこ🐈にしたよ。
昔から、他人にどう見られているかが気になって仕方なかった。人から嫌われないようにするために、心にもないことを言って調子を合わせてしまうことがあった。
「こんなビジネス面白そうだから一緒にやってみない?」
正直そのビジネスに全く興味がないし、世の中にはすでに似たようなものがあって社会的なインパクトも感じない。お金にも経験にもならなさそう。ただでさえ忙しいのに負担が増えてしまいそうでしんどいな……。そんなときでも、モヤモヤしながらも無理やり笑顔のようなものを作って、
「面白そうですね、やりましょう!」
と答え、他人の期待を裏切らないようにしようと人生を送ってきていたように思う。ただ、結局はやりたくもないことや出来もしないことをやると言ったところで、結果的には裏切ってしまうことも多かったのかもしれない。
「人の期待には応えるべき」のほかにも、「スキルアップのために技術の勉強をしっかりするべき」とか「英語ができるようになるべき」とか、そんな「こうあるべき」に支配されて、今までそうあろうとする自分を追い込んでしまっていたような気がする。
ねこを飼い始めて半年が経った。昔から実家では犬を飼っていて、どちらかといえば犬派だった。
犬はだいたいいつでも飼い主のことがスキスキという感じでくっついてくるし、飼い主に命じられたら多少イヤでも言うことを聞く。一方でねこは、さっきまで撫でられて喜んでいたかと思えば、突然嫌がって距離をとり始めることがよくある。「おいで」と呼んでも、好物のカニカマを手に持っていなければ来ない。ねこは人に好かれるために期待に応えようとしない。ただただいつでもやりたいことをやり、やりたくないことはやらない。
では、そんな態度では人から嫌われることになってしまうのか。いや、少なくとも自分は嫌っていないし、むしろメロメロだと思う。ねこが人の期待に応えようとしようがしまいが、人はそれを承認し、何かを強要することもなく、ありのままの相手に敬意を払う。これは今まで「他人の期待に応えないと嫌われてしまう」と自分を追い込んでいた身にとって新しい気づきにつながった。そして、このありのままの相手に敬意を払うということは、ねこに限った話ではなくあらゆる関係において最高に理想的な形ではないかと考えるようになってきた。
Kobe.rb というコミュニティを共同運営している @spring_aki さんにパーソナルコーチングをお願いして3ヶ月。自分の価値観を探って、人生の目的を宣言し、どういうときにどういう感情を持つかを考え尽くすといったことをしている。自分が普段当たり前のように見ているものの見方が変わってきて、人生の充実感が高まってきている気がする。
また、アドラー心理学の本、嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えと出会って4年半。自分で考えを進めてみてもアドラー心理学で語られる内容とかなり近いところまでたどり着いた実感がある。4年半かかってようやくアドラー心理学が身についてきているのかもしれない。
これからは、まずは自分がねこ🐈になる。人の期待に応えたり、人の顔色を窺ったりする必要はない。直感でやりたくなさが反応したら、自分に嘘はつかずそれはやらない。自分がねこになったら周囲の人にも「あ、人間関係ってこんなにねこ🐈でもいいんだ」と思ってもらって、最高に理想的な関係、ねこ🐈の輪を広げていきたい。
みなさんの人生の目的、目標、夢を聞かせてほしいです。これを読んで思うことがあれば、是非サシ飲みに誘ってください。